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2010年9月

少しずつ落ち着いてきました。「海南鶏飯」とか「命のコンサート赤毛のアン」とかです。

おかげさまで、少しずつ落ち着いた毎日が戻ってきました。

21の火曜日からは仕事にも復帰し、チーチーパッパからパワーをもらったり、お生意気な小学生を叱り飛ばして、エネルギーチャージしたり。

母は「パパは家にいても、ほとんど書斎にこもっていたから、今も、書斎で仕事をしている気がする」と言っています。

休みのときは夫が、母を連れて外食してくれたり、うちに呼んで一緒に晩御飯を食べたりしています。

私は、毎晩のように、父の夢を見ます。
ちっとも楽しい夢ではなく、帽子をかぶって、酸素を引きずってとぼとぼ歩く父・・・
以前のダンディーでおしゃれな父とは全く違います。
私を振り返り、振り返り歩く姿に
「あ、父は死にに行くんだ」と確信しながら、なにもできず手を振っている私・・・とか

言葉の通じない外国の病院で、点滴で血まみれになった父を奪還して、車で日本に走り続けるとか・・・

悪い夢見に目が覚めて、ちょっと酒量が増えちゃったりして(いけません!)

でも、楽しいことも始めています。

昨晩は、幼馴染のEMちゃんが上京されて、恵比寿ガーデンプレイスの「海南鶏飯」で、チキンライス、バクテ、オイスターオムレツ、ペーパーチキン、空芯菜炒めを食べ食べ、沢山飲みました。
めちゃめちゃおしゃべりが弾んで、本当に楽しかったです。
EMちゃん、タイムリーな上京ありがとう!


今日は、いつチケットを取ったか忘れちゃった・・・たしか、父の入院中だったかなあ・・・

私、悪い状態にあるとき、その先にある楽しいイベントを考えることにしています。
その楽しいイベントに必ず笑って出かけるんだ!という自分への励ましもあって。

東京フォーラム「命のコンサート 音楽劇赤毛のアン アンからの手紙」に行きました。

この劇のこと、全然知らなくて、友石竜也さんが出演されるから、それだけでとったのですが、主催:NPO法人国連クラシックライブ協会。
協賛:郵便事業株式会社。協力:劇団YPA TOKYO

世界の子供に教育の機会を与えようという、チャリティーを含めた大変にモチベーションの高いミュージカルだったのですね!

う~~~ん、そういう意味ではとても素晴らしい演目だったと思います。

でも、かなり、素人集団のお集まり・・・っぽい?
とくに一幕は、子供のシーンが多いので、学習発表会を見ているようで、結構眠かったし、きつかったです・・・
マリラ役の安奈淳さん以外、歌に聞きほれ、演技に参っちゃったという方がなかったのは残念。

友石さんのソロは一曲だったかな?
もちろん素敵でした!!

休憩時間に、お隣に座った方とお話したところ、友石さんお目当てで来られているけれど、ミュージカル学校で先生をしておられる友石先生を観に来ましたとのことでした・・・

ここ数年、友石さんのライブなどに伺うと、四季時代は全然知らなくて、歌や踊りを教えてくれる先生として、友石さんを観にこられる方がとても多いのに驚きます。

新しい活動として、後進を育てる活動をしておられるのは、素晴らしいし、友石さんにとってはそれが、最高の生きがいでいらっしゃるのだと思いますが、大きな舞台でまばゆく活躍されていた友石さんを何度も拝見している私には、ちょっと物足りないのです・・・

まだまだお若いし、なんといっても実力は素晴らしい方なので、また、以前のような舞台に立って欲しい・・・そう思ってやみません・・というのは、きっとファンのわがままなのでしょうね。

そうは言っても、ごひいきさんの出演される演目が、どれほど力を与えてくれるか・・本当に感謝です。
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私の最高の癒し、こんな、微妙なパラレル姿の可愛いマイクーもいるし。
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今夜の晩御飯です。数日お買い物が出来なかったので冷蔵庫、冷凍庫をさらえて。
鴨とねぎの炒めもの、大根おろしたっぷりで。ほっけの干物。オクラととろろのお酢のもの。キャベツと塩昆布の和え物。豚肉と高菜の中華スープ。

やっと、日常が戻ってきました。

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無事に終了いたしました。

父の前夜式が15日、葬儀が16日に、無事終了いたしました。

(前夜式のこと、何度教えても叔母が「前夜祭、前夜祭」と言った・・・学園祭じゃないんだから^^;;)

本当の近親者のみ(親しかった方でも、遠方の方はお断りさせていただきました。)20数名での、小さなお式でした。

とても暖かく、和やかなお式で、父もきっと満足していることと思います。
前夜式のあと、また、お骨を上げて帰ってきてからのお食事会も、皆さん最後まで残ってくださり、沢山沢山お話が出来ました。

(上記の叔母、初めてキリスト教式の葬儀に参列したそうで、その厳かで暖かい雰囲気に、いたく感動し、「私もキリスト教の葬儀がしたい」、と言い出しました^^;;ちなみに、叔母の旦那さんは、朝晩、仏壇を拝むのが何よりの幸せというお方です)

父のお骨は、父の希望通り、教会墓地と、父の父母、兄、甥だけが眠る、京都のお寺の分院に分骨します。

そして、メインは、父が生まれ育ち、愛してやまなかった、瀬戸内の海に散骨します。

春か、秋・・・
最も良い季節に、波の穏やかな瀬戸内の海に父を返します。

このときに、もし、ご了承いただければ、父の故郷の広島の知人、親戚の方々(今回はご参列をお断りしてしまい、本当に申し訳なく、心苦しく思っております)に、是非ご参加いただきたく思います。

そうしていただければ、父も母も私も、とても嬉しいです。


いろいろとお世話になった方々に、心からの感謝を述べさせていただきます。

本当にありがとうございました。

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沢山の感謝をこめて。

いっぱいの沢山の感謝をこめて、こちらでお話させていただきます。

間質性肺炎を患って5年半、父はよく生きました。
近年は、体調不良に苦しみ、鬱状態にもなっていました。

父は50年以上前に、肺結核で片肺を切除しています。
高齢になるに連れ、残ったもう一つの肺に負担がかかるようになって、8年前から、春先になると肺炎になって入院するのが年中行事のようになりました。
毎年、桜が咲くころに入院して、桜が散るころに退院するので「毎年お花見は病院の桜だね」と言っていました。

5年前に入院したときは、普通の肺炎ではなくて「間質性肺炎という難病である。非常に重篤で、ここ2,3日が山でしょう」とドクターから言われて、驚いたものの、生還してくれました。

その後は、3年前に、急な発熱で入院したけれど、すぐに退院が出来、
「大変な病気をしたけれど、毎年の入院がなくなったね」と、喜んでいたところの、今回の出来事でした。

でも、本当によく生きました。

最後は、父の願いどおり、心臓マッサージも、人工呼吸器をつけることもなく、自然に呼吸が止まり、自然に心臓がとまりました。

まるで、テレビのドラマのように、波を描いていた曲線が直線になり、モニターの数字が0になり。
ドクターが、瞳孔を調べ、聴診器を当てて
「0時45分、永眠なさいました」と。

母と父の手をさすりながら
「パパ、よく頑張ったね!!もう頑張らなくてよいよ。ありがとうね!」と言いました。


不思議に涙が出ません。

牧師先生が出張中だったので、奥様が夜中にもかかわらず駆けつけてくださいました。


看護師さんが、母を抱きかかえるように支えてくださいました。

主治医の先生が、ずっと病院に残って、最後を看取ってくださり、霊安室まで一緒に来てくださいました。

本当に皆様には良くして頂き、多分、考えられる範囲で、一番ふさわしい最後を迎えることが出来たと信じています。
でも、落ち着いて考えれば、後悔ばかりが残るのかもしれません。

「苦しまず、痛まず」という父の意向をがんがん伝えても、医療で治療できる可能性がある限り、生かされてしまうという現状もわかりました。

患者の意思とは別に、実際に、ぎりぎりまで行って、最後に心臓マッサージをしない、人工呼吸器をつけないというのが、「尊厳死」ということなのだということも知りました。

スーさん、学習したぞ~~!!

突然の入院から、三週間弱の入院生活でした。
しゃべれて、口からものが食べられたり、水が飲めたのは2日だけ。

あとは、不穏状態になったり、意識が混濁したり、何かを訴えているのだけど、言葉にならなかったりで、ほとんど意思疎通はできませんでした。

病院のご飯が食べられなくて、でも、何とか食べて欲しくて、父の好きだった明太子を持って行きました。
それをお昼ご飯に食べて「うまい!」と、初めてお茶碗半分ご飯が食べられました。
その夜から、絶飲、絶食になったので、父の最後の晩餐は「明太子」でした(笑)

13日、私とは母は、父が入院するずっと前に、帝国劇場の「エリザベート」のチケットを取っていました。
状態が安定していたら、叔母が病院に来てくれて、私たちは観劇する予定でした。

それが、月曜日の朝、ドクターから「状態がとても悪いです。一時間後に心臓が止まってもおかしくない状態です」と言われ、チケットを叔母と、すぐに連絡の付いた友達に差し上げることになり、母と私は病院に残りました。

でも、幸い、夜遅くまで症状が安定していて。
叔母から「素晴らしい舞台でした、ありがとう」とメールが来たとき
母と「くっそ~~~~~~~!!これだったら、観劇行けたよね~~~。最後までママをそばから離さないなんて、全くいかにもわがままなパパらしいよね。
あの時、私たちを芝居に行かせてくれて、そのあと、具合が悪くなったら『パパありがとう!最後にママを楽しませてくれて』って言えたのにね」と、笑っちゃいました。

全く、最後まで、母に頼りきって、自分のわがままを通した父の人生でした。
娘から見て、こんなに夫に尽くす妻というのは、ちょっとありえないと思います。
それくらい、母は、自分のすべてをなげうって父に尽くしていました。
母が先に倒れたらどうなるんだろう・・・と思っていました。
幸い、母は足腰は悪いけれど、元気です。
寂しさが癒えたとき、やっと、自分の自由な時間を持って、楽しいことが沢山できるようにして欲しいし、そうなるように私も協力できるとよいなと思います。

父の強い希望で、前夜式、葬儀は近親者と、教会関係の方のみで行います。

親戚やお友達の方から、参列したいとおっしゃっていただいています。

私も是非是非皆様にお会いしたく、「来てください!、お会いしたいです」と
言いたくて仕方がないのですが、心ならずもご遠慮させていただきます。

実際のお友達、親戚、お会いしたことのあるネットお友達始め、ネットでのみのお付き合いの方々にも、励ましていただいて、本当に本当にありがとうございました。

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父が永眠いたしました。

今日、9月14日、午前0時45分、父が天に召されました。

病院に泊まっていた母から電話があって駆けつけたときはまだ、かすかですが息があって、最後に立ち会うことが出来ました。

皆様にはいろいろと励ましていただいて本当にありがとうございました。

これから、ちょっと忙しくなりそうです。

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鮟鱇

父は、少し熱が下がり、呼吸状態も安定して、喜んでいたのですが、3日前から、突然、状態が悪くなりました。

今、酸素の流量は15!
呼吸器の治療で使えるマックスの量だそうです。
これで、効かなくなったら、人工呼吸器になるそうです。
タンが絡んで、呼吸の音が苦しそうです。

意識はほとんどありません。
どんなに呼びかけても、反応がありません。

酸素を沢山入れると、その分、二酸化炭素が身体にたまります。
そうすると、意識が朦朧としてくるそうです。

でも、その方が、父には幸せだと思います。

今の状態で、意識がはっきりしていたら、かえって可哀想だから。

人工呼吸器は、父の希望もあり、お断りするつもりです。

お電話やメールを頂いて本当にありがとうございます。

私は、落ち着いています。
母に「あんたがしっかりしていてくれるから助かる」と言われましたが、しっかりしているわけではなく、本当は、いろいろなことを考えると大声で泣きたくなるから。

あのとき、もっと優しくしてあげればよかった、あんな意地悪言わなければよかった・・・って。

だから、なにも考えないようにしているだけです。
私が泣いたら、母はもっと辛いでしょう。
母はもう十分すぎるくらい、父に尽くしてきた。
私も、やることはやったよなって。
それになにより、父は今まで本当によく頑張ってここまで生きてきました。

今日、教会の牧師先生ご夫妻が来てくださいました。
枕元でお祈りをしていただいて、これからのことはすべて、神様に委ねますとお話しました。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(旧約聖書 伝道の書)
そう信じています。

私は、こんなときでも、食欲衰えず、もちろん飲み欲も衰えてません。

先日、お取り寄せで、7キロの鮟鱇が3000円というのを頼みました。

私は鮟鱇が大好きだけど、鮟鱇って結構高いです。

7キロもあれば、どれほど食べられるだろう。

「ご希望があれば、捌きます」と言うことだったので、もちろんお願いしました(鮟鱇が一匹丸ごと届いたら、困っちゃいますから)

金曜日に届きました。

今まで、数限りなくお魚のお取り寄せはしています。
どこも、きれいに、三枚に下ろしたり、そのまま使えるようになって届くのですが・・・

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これ、捌いたっていうのかしら・・・
キッチンバサミの大きさと比べてください(汗)
7キロの鮟鱇をぶった切ってあるだけではないだろうか・・・

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おまけに、鮟鱇のお顔、そのままだし・・・


泣きそうになりながら、切り分けました。
鮟鱇って、ぬるぬるして切りにくい・・・

でも、土曜日に母も呼んで作った鮟鱇鍋は抜群に美味しかったです!
全く、魚臭さがなくて、アンキモもクリーミーで!

数日前、父の呼吸が安定したとき、看護師さんに
「いつになったら、口からものを食べられるようになりますか?」と聞きました。

「呼吸器は良くなっても、心臓が不安定だから、すぐに食べられる状態にはならないですね」と言われたのですが、食いしん坊の私は、とにかく一度で良いから、父に口からものを食べさせてあげたいと思って、いろいろ考えました。

父が一番好きなのは、生まれ育った広島の瀬戸内のお魚です。
本当は、白身のお刺身が良いのだけど、衛生面から生は無理かな。
それなら、煮魚にして持っていこうか、父の大好きな河豚は時期がまだ早いけど、養殖の河豚を出しているお店があるから、そこに行ってお刺身を湯茹きにしてもらおうか・・・

これも、もう出来なくなりました。

多分、これからは父の魂が安らかであることを祈ることしか出来ないのでしょうね。

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今の心境です

先週の火曜日から、不穏状態になった父は、点滴を抜いたり、酸素マスクをはずすので、両手にプラスチックのミトンをはめられ、胴体も完全に拘束されることになりました。

それでも、暴れて、抑制帯でこすったり、ベッドの手すりでぶつけたした内出血や、点滴を何回も刺しなおすので、両手のひじから下は、真っ赤というより真紫です。

普通の患者さんなら、鎮静剤を投与することで、眠れるのですが、呼吸に疾患があると、向精神薬で眠らせるとそのまま、呼吸がとまる危険があるので、なかなか使えないのだそうです。


こんなに苦しんで生きているのは父も望まないことです。
ドクターに
「もう一度、しゃべれたり、口から美味しいものを食べられる可能性がまったくないのなら、父がいつもお願いしていたように苦しいことはして欲しくない。たとえ危険が大きくても、鎮静剤を使って楽にしてあげて欲しい」とお願いしました。

そしたら「肺炎のほうの数値は良くなっているので、まだ、治療の可能性があります。今、もう手立てがないということではありません」とのこと。

ここ数日は大きな声を出したり暴れたりはしなくなりました。

話しかけると、私たちの言うことはわかっているようです。

ただ、父は何かを語るのだけどわかりません。

大きな紙に
「痛いところがある」
「何かが欲しい」
「看護師さんを呼んで欲しい」
「喉が渇いた」
「ママを呼んで欲しい」など、マジックで書いて持って行きました。
父が語りだすと、それを見せて、
「もし、正解だったら、手を開いて」とコミュニケーションとりたくてやってます。

「喉が渇いた」というのがほとんどですが、今、父は嚥下が出来ないため、絶飲、絶食です。
口が渇くと、スポンジで口の中を潤してもらっていますが、おととい
「水が飲みたい」と声を出して言いました。
90%は、意味不明ですが
看護師さんに名前を聞かれたら、一生懸命答えようとしたり、
「家に帰りたい」と言ったり「おしっこが出ない」と言ったり。

手に打つことが出来なくなった点滴を足に入れていました。
それも、足がぱんぱんにむくんでしまい、また手に入れることになったのですが、入るところがない血管に何度も何度も針を刺されて、シーツに沢山血がこぼれました。

水も飲めず、おむつをはめられて、意思表示もほとんど出来なくて。
身体を動かすことも出来ず、褥瘡予防のため、二時間ごとに体位交換されて。

今日もドクターに
「本当に、家に帰れる可能性はあるのですか?」と聞きました。
「そうなるように、最大限の努力をしています」とのこと。

生への執着が強ければ、父も、今の苦しさを我慢することが出来るでしょう。

しかし、父はもう入院の段階で、苦しんで長く生きることを望んではいませんでした。

でも、たとえば、人工呼吸器をつけるというのを、拒否することは出来ても、今の段階で、すべての治療を止めることは、ドクターとしてはできないでしょう。

今、しみじみ思います。

父が倒れた日、私が見つけていなくて、あのまま亡くなっていたら、父はむしろ幸せだったのではないかと。

「おまえ、なんであのまま楽にさせてくれなかったんだ」と怒られているような気がします。

今日、一人で父の病室にいたとき、思わず涙が出ました。
たまたま入ってきた看護師さんに見つかって、抱きしめるように抱えていただいて(私のほうが縦も横もずっとでかいのだけど)
「苦しいとき、不安なときはいつでも言ってくださいね」と言ってもらいました。

ドクターも看護師さんも本当によくしてくれて感謝しています。

でも、父はもう十分に頑張りました。

あと一度で良いから父と話がしたい。
一度だけで良いから、父に思いっきりお水を飲ませてあげたい。
一度だけで良いから、父に好きなものを口から食べさせてあげて「うまいなあ~~」と言って欲しい。

それで、十分です。

あと、一度だけ・・・一度だけで。

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